エルス 科学と哲学の森
今までは自我の自分から真我を見ようとしていたので、おおもとは同じであるとか繋がっているというふうに思うのが難しかったのですが、逆に真我が先にあって自我の自分を俯瞰して見ているというイメージにすると、スッと理解できた気がします。
真我があるからこそ、安心して今回の人生で与えられた役割を演じればいいのだとわかりました。
それがフラワーエッセンスを通して教えていただいてきた、肉体を持ったこの人生をフルに生きるということかと。
役柄を演じ切ることが役者の本望であるはずですよね。
その視点は、それこそとても救いになりました。
M.K様
棚次先生から、「死にゆく人を前に祈るといい。世界中に響くくらい祈るといい。」と言っていただきました。
講義後、棚次先生に「死にゆく人がスムーズに逝けますように。」「安らかに逝けますように」とは思いますが、世界に響くくらい祈るということがよく分かりませんとお伝えしました。
先生からのお答えは、死にゆく人の真我を祈る。そのためには、まず医療者が自分の真我を知ることが大事。
まだまだ分からないことだらけですが、とてもとても大切なことだと感じています。
考え 問いかけ続けていきます。
祈りや真我というものを意識したからでしょうか?
今まで無かったことですが、今夜は満月を見るたびに何だか嬉しく笑顔になり、感謝や祈り に ほんの少しだけ近いように感じました。
平幸子様
棚次先生の「祈りの人間学」を受講する前から気になっていることがありました。
日々の様々な行動、意識などが自分の自我からの行動なのか、それとも真我からの行動なのかということでした。
棚次先生は真我から発する事は完全完璧だとおっしゃっていましたが、その視点を持つことで今、自分が感じていること、行動、意識が変わると思いました。
講座を受けてから、より自分を観察出来ている気がします。
早速、自分が苦手とするタイプの方とのやり取りがあったのですが苦手な方の言動を敢えて気にしないフリをしてみた所、以前と比べてより動揺していない自分に出会えました。
佐野いづみ様
いつも神社仏閣に祈っていた行為はお願いばかりしていましたが3